通勤電車の中で書くブログ

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色の三原色と光の三原色が違うのはなぜ?③

前回(https://donou.hatenadiary.com/entry/2020/06/15/194949)は光の3原色の説明をしたので、今回は色の3原色の説明に入っていく。

 

まず言っておかないといけないのは、色の三原色は赤、青、黄色ではなくて、マゼンタ、シアン、黄色だということだ。残念なことに、「なぜ光の三原色は赤、青、緑で色の三原色は赤、青、黄色なのか?」という疑問の、そもそもの前提が間違っていたようだ。というか、急に出てきたけどシアンって何?マゼンタって何?って感じだが、ウィキペディアで見たところ、シアンは緑っぽい水色、マゼンタはピンクっぽい紫色だった。(本当は図を用意すべきところだが)

さて、気を取り直して、色の三原色はシアン、マゼンタ、黄色の三色であるということで認識をアップデートしよう。その上で、なぜこの3色が色の三原色か?という話題に戻りたい。

前回の記事で、「赤、青、緑の光の強さをそれぞれ自由に調整できれば全ての色の光を出すことができる」という趣旨のことを書いたと思う。このことは色の三原色を考えるにあたっても重要な事実だ。なぜなら、色は光の見え方にすぎないからだ。白い紙に赤の絵の具を塗った情景を思い浮かべてみよう。赤の絵の具なので、当然赤色に見えるはずだ。では、なぜ赤の絵の具は赤色に見えるのか? それは絵の具が赤色に光っているから、ではなく、絵の具が赤色以外の色の光を吸収し、赤色の光だけを反射させてあなたの目に届かせているからだ。光る絵の具の場合は別だが。

そう、色というのは、「どの色の光を吸収してどの色の光を反射させるか」によって決まるものなのである。そして、それはつまり、赤、青、緑の三色の光をそれぞれどれだけ反射させるかを自由に決められれば、全ての色を表すことができる、ということだ。

そして、それはつまり、・・・・・・(次回に続く)

色の三原色と光の三原色が違うのはなぜ?②

前回(https://donou.hatenadiary.com/entry/2020/06/12/194219)、タイトルのような疑問を持った経緯を書いたが、ここではその疑問への解答を調べた結果を書いて行こうと思う。

まず、光の三原色の話から始めるのが良さそうなので、光の方から始める。

さっそく光の三原色が赤、青、緑となっている理由を言うと、それはものすごく単純で、人間の目の神経が赤、青、緑の3色の光を感知するようできているからだ。もっと正確に言えば、人間の目が強く感知する光の周波数が3種類あって、その3種類がそれぞれ赤、青、緑に見えるようになっている。そして、ある波長の光を見たとき、どの神経がどれだけ強く反応したかによって、その光が何色なのかを脳で割り当てているのだ。

例えば、赤と緑の中間ぐらいの周波数の光を見たとしよう。すると、赤を担当する神経と緑を担当する神経がまあまあの反応を示す一方、青を担当する神経はほぼ反応を示さない。この光の周波数は青色の光の周波数から離れているため、青を担当する神経にはこの光がほぼ見えないのだ。そして、脳ではこう判断する。「赤と緑の神経が反応し、青は反応していない。とすると、この光は黄色だ」と。

結局、ある光が何色なのかを判断するには赤、青、緑の3つの神経がそれぞれどのように反応するかに全てがかかっている。だから、赤、青、緑の3つの光の強さをそれぞれ調整して目に当てることができさえすれば、脳が分かる全ての色を脳に見せることができるというわけだ。赤、青、緑が「光の3原色」と呼ばれるのはこれが理由である。

次に色の3原色の方に移りたいと思うが、今日はこの辺にしてまた次回に説明したい。

色の三原色と光の三原色が違うのはなぜ?①

「赤、青、黄色、全ての色はこの3色を混ぜることで作ることができる」ということを小学校の図工の授業で学び、小学生だった私は(へぇ~)と思ったものだ。この3色は「色の三原色」と呼ばれる。

しかしその後、私は「光の三原色」という名のよく似た概念に出会った。この概念によると、「赤、青、緑、全ての光の色はこの3色の光を混ぜることで作ることができる」という。

色の三原色は赤、青、黄色で、光の三原色は赤、青、緑ということで、(若干違うんだね)と心の中で整理し、最近まで過ごしてきた。

しかしよくよく考えてみると、色の三原色と光の三原色が違うのはおかしくないか? 「色」というのはある波長の光を見たときの見え方にすぎないわけであって、そうであれば色の三原色は、イコール、光の三原色にならないとおかしいのではないか? といった疑問が生じ、この2つの三原色が異なることにだんだん納得がいかなくなってきた。

これがあまりに気持ち悪かったため、ウィキペディアとかを見て疑問の解消を試みたので、その結果を書き残していきたいと思う。(書くためのまとまった時間が取れないので、何回かに分けて書くことになりそう)

 

続き↓

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なぜ前田建設が前田道路をTOBするか

前田建設はPBRが0.8ぐらいで、つまり株式市場からの評価がかなり低い。

一方前田道路はPBRが1.5ぐらいで、株式市場からの評価が高い。

前田建設は前田道路の株を25%ぐらい持っているが、それでは前田道路の業績を連結決算に入れることができない。

だから、前田道路の株を50%まで買い増して、連結決算に入れたい、そして前田建設としての株式市場からの評価を向上させたい、そんな思惑があるのではないか。

 てかなんで前田建設の株価そんな低いの

 

 

新型コロナから守ってよ

新型コロナウイルスは、死亡率は低いものの感染力がかなり強い(潜伏期間中も他者に感染させられることも含め)ので、感染が広がり出せば国への損害はかなり大きくなりそう。特に日本は都心部の人口密度が非常に高いので、広がり出すと本当に歯止めの効かないスピードで感染者が増えていくだろう。

このため、日本政府はコロナウイルス防止に最大限の努力を払う必要がある。そして対策については

①水際対策と②拡散防止の2つに分けて考える必要がある。

①水際対策について、これはコロナウイルスの感染力と、人の移動が完全には止められないことから、行ってもいずれは突破されることは間違いない(そして実際に突破されている)。かと言って水際対策が全く不要ということにはならない。水際対策によりコロナウイルスの日本への侵入速度を抑えることはできるからだ。とにかく、パンデミックの発生を防ぎたい、もし発生するとしても、可能な限りそれを遅らせたい。ワクチンや有効な予防法の確立、医療体制の構築ができるまでの時間稼ぎを行う必要があり、このために水際対策は不可欠だ。水際対策は空港や港で実施し、海外から来る人間にフィルターをかける。一つのフィルターは、出発地によるフィルターで、もう一つは発熱度合いによるフィルターとなるだろう。これらのフィルターにより、完全でないにしても、コロナウイルス感染の疑いの高い人間をピックアップして診断にかけることができる。

次に、拡散防止について、まず一番大事なのは人々の予防活動となる。特に手洗い、アルコール消毒がかなり予防に効果的で、これを日本人の意識に根付かせることが重要となる。特に免疫力の弱い子供や高齢者に対して、周知のキャンペーンが必要で、学校では予防教育が不可欠となる。

また、感染が分かった人間について、その人が濃厚接触した人間への感染が疑われる。感染者に対しては、国家強権を発動し、その人の過去数日間の動きと接触のあった人間について政府に正しく報告することを義務付けるべきだ。この活動を通じて、感染者を放置してしまう可能性の芽を可能な限りつぶしておくのである(この活動については、ある程度広まり始めたら手遅れとなってしまうが)。

感染が広がり出した後は、中国でやっているのと同様、感染地域とそれ以外の地域との間でフィルターをかけ、上述の水際対策を地域単位で行う。感染拡大を局所的なものにとどめられれば勝利、全国に広がってしまえば敗北で、こうなると日本へのダメージは計り知れない。

 

以上が、政府がコロナウイルス対策で考えるべき観点となる。

 

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コロナウイルス

 

記憶するってすごくね

記憶ってすごいよね、人が何らかの現象を知覚したり考えたりするのはすなわち脳内の神経回路で何らかの信号が流れる、ということだけど、それを記憶するというのは一度流れた信号の経路を、時間を置いたあとでも自分で再現できるということだから。

一度流れた信号の経路を、どうやって再現するのかっていうのは結構不思議に思う。

記憶といえば、USBメモリみたいな装置があるが、そういうのだと多分電気信号をデジタル化して1ビットごとにメモリ内の入れ物にはめ込んでいくようなイメージと思うけど、脳にはそんな収納場所はなさそうだ。

話は変わるが、学習という行為も記憶と関わりが深い。「チョコレートはうまい」ということを学習するとして、まず「チョコレートを食べる」という信号がながれ、次に「うまい」という信号が流れる。ここで、「チョコレートを食べる」信号と「うまい」信号との間に道(回路)ができるのではないかと思う。そしてこれが学習であり、記憶なのではないかと。

つまり、記憶というのは回路なんじゃないかな。何かと何かが同時、ないし続けて起こったりすることにより、それぞれに関連する脳の部分の間で新しく回路が作られる、そしてそれが繰り返されることで回路がより太くなっていく。「3×5」と「15」の間に何のつながりを見いだせなかった子供が、小学2年生になり九九を学び、「3×5」→「さんご」→「15」の回路を作る。そしてこのルートを繰り返していくにつれ、「3×5」→「15」という風にショートカットされたルートが形成される。

また、日比谷公園の桜がきれいだったという記憶は、「日比谷公園「桜」「きれい」といった脳内の要素が色々な経路で結びついたものではないか。

そんな風に思った。多分いつか読んだ本か何かの内容を思い出してるだけだと思うので0からひらめいたわけではないけど。

旬の物を食え

季節で旬の食べ物だったりその土地の特産品を食べるというような、

それぞれの時期・時間帯、それぞれの場所で、良いとされる事をするというのは(当然なんだけど)すばらしいよな、と思う。幸せイコールこれ、と言ってもいいかもしれない。

 

夏にそうめん(ミョウガが沢山載っている)、秋に梨、冬に鍋(食べた後雑炊にする)、春にたけのこ。

沖縄で海ぶどう、福岡でもつ鍋、イタリアでピザ、伊勢で伊勢エビ、佐世保佐世保バーガー

 

すばらしいね。消費するだけの人生はむなしいというが、いい消費はやっぱりいいよ。