通勤電車の中で書くブログ

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少子高齢化・人口減少で日本を終わらせないために

日本が近い将来に直面する一番大きい問題は少子高齢化と人口減少だと思う。2025年問題という言葉があるが、2025年には65歳以上の人口が全体の3分の1になり、2050年には日本の人口が1億人を割る予測がある。今の人口が1億2500万人ぐらいだから、20%減だ。

(参考)

第1章 第1節 1 (2)将来推計人口でみる50年後の日本|平成24年版高齢社会白書(全体版) - 内閣府

 

高齢化が進むと働く人が減ることで税収(所得税)が減るし、高齢者の医療費や年金を相対的に少ない若者の負担で賄っていかなくてはならなくなる。また人口減少にもつがなる。人口が減ると、当然税収も減るし、日本経済は人手不足と市場縮小で弱体化してしまうだろう。経済がマイナス成長となれば、日本企業への信用が失われ、金融危機に陥るかもしれない。

本当にこんな悲惨な事態になるのかどうかは分からないが、まあ普通に考えたら起こってもおかしくないような話ではある。

ではこの問題にどう対峙していくべきかということだが、

 ①人口減を食い止める(正面突破)

 ②移民や生産性向上により人口減の悪影響を弱める(防御)

 ③経済規模縮小・財政縮小でもなんとかなるように準備する(開き直り)

 ④特に何もしない(諦め)

対応としてはいろいろ考えられるものの、大きく分類するとこの4つぐらいになるだろう。④は論外として(人生、時には諦めが肝心な時もあるが)、①がうまくいけばベストだろう。うまくいかない場合は②③でしのいでいくしかない。

①人口減を止める為には

・子供を産み・育てやすい環境整備・・・お金・保育所・雇用環境

・結婚の促進・・・マッチング・お金

・その他・・・一夫多妻・不倫の容認・人工授精・クローン人間・高齢者の選挙権を弱める

②人口減の悪影響を弱めるには

・移民受け入れ 

・生産性の向上・・・機械・働き方改革・教育

高齢者を活用・・・再雇用制度・健康寿命を延ばす

③経済規模縮小・財政縮小への備えとは

・都市のコンパクト化

・小さな政府

安楽死の容認

・行政手続き等でITを活用→公務員の削減

・強国の庇護下にはいる(現状日本は地政学的に重要な立地というメリットを米国に提供することで米国の庇護下にいると言える)

・もしくは経済以外の点、例えば軍事力や重要産業をもって強い立場を得る (スイスやシンガポールのような)

法人税減税により外国資本を呼び込む

 

・・・・といった感じで、いろいろな対策が考えられるが、どうするのがベストなのかは分からない。まだどの国も直面したことのない状況だからだ。

国の運営というのは大変ですね。 

ロジカルシンキングとは結局何なのか?

本屋に行ってビジネス書の棚を見ると、「ロジカルシンキング」について書かれた本が大量に並んでいる。俺もそれらのうち一部を読んだことがあるが、今一つ、そこに書かれていたロジカルシンキングという技術を自分の実生活や仕事に適用することができていないように思う。MECE(ミーシー)やロジックツリーといったロジカルシンキング的なワードについてはよくわかるようになったが、それがすなわちロジカルシンキングだとも言えないと思う(MECEとかはロジカルシンキングというスキルの末端部分にすぎないんじゃないか)。ではロジカルシンキングとはどのような技術で、どのように現実世界に適用していけばいいのか?という疑問があり、今日はそれに自分で答えてみたい。

 

●ロジカルとはどういうことか

人間は放っておくと結構あほな考えに行きついたりあほな行動をとったりしてしまうものだ。例えばテスト勉強をしないといけないのになぜか部屋の掃除をしてしまったり、ただの相関関係を因果関係だと読み取ってしまったりする。そういったゆがみを極力排していこうとする姿勢がロジカルな姿勢だといえるのではないかと思う。

例えばテストでいい点を取りたいとする。この状況であまりロジカルでない考え方は「よし、今回はいつもより頑張って勉強しよう」という感じだ。一方、ロジカルな考え方では、「前回のテストでは50点だったが今回は70点を目指すことにしよう。ではどのようにして20点上げたらいいか。前回を振り返ると、難問にこだわりすぎて時間切れになり、10点ほど損している。あとは計算ミスで10点の損、単純に解けなかったのが30点。時間切れの-10点については、難問に当たって5分考えて分からなかったら飛ばすという作戦にすれば解消が見込める。これで+10点。また計算ミスの損も大きいので、今日から普段の勉強に加えて毎日20分を取って計算の練習をすることにしよう。これで+5点程度にはなるだろう。残りの5点だが、クラスの秀才に出そうな問題を聞いてそれを優先的に勉強することで稼ごう。5点と言わず、10点程度は見込めるかもしれない。以上を合わせて+25点となり、目標達成には十分だ。この方針でいこう」。となる(ちょっと長く書きすぎた)。ロジカルでない考え方とロジカルな考え方の違いは何だろう。それは、「厳密さ」と「切り分け」だ。テストでいい点をとるというふわっとした目標を+20点という明確な目標に置き換える。そしてその目標と今の状況をいくつかのピースに分割し、それぞれのピースについて対策を立てている。

つまり俺はロジカルシンキングの神髄は「厳密さ」と「切り分け」だと考えている。なにか目標や問題があれば、それを厳密に定義し、要素に分割した上で、対応を考える。必要とあれば、分割したものを再度厳密に定義し、再度分割する。ロジカルシンキングを雑に説明するとこういう感じじゃないだろうか。これが有効なのは、厳密な定義と分割を繰り返すことで、人間の非合理的になってしまう原因をあるていど排除することができるからだろう。

厳密な定義と分割は人によって上手い下手があるが、それは練習あるのみだ。。

日本の財政はやばいのか

日本の借金は1000兆を超えていると言われる。これは日本のGDPが500兆程度、日本の歳入・歳出が100兆程度であることを考えるとすごい額だ。国民を1億人と考えると一人当たり100万円の借金ということになる。

これは一見、危機的状況のように思えるし、危機的状況と言う人もいる。しかし一方で、何ら問題ないという人もいる。一体どちらが正しいのか?(もしくはどちらも正しくないのか?) 考えてみたい。

 

借金が問題になるのはどういう時かというと、それは返せなかった時だ。借金を返せないと財政破綻となる。そして財政破綻すると日本円の価値が暴落しハイパーインフレになったり経済が混乱するだろうし、国も支出を減らさないといけないから公共サービスが一部中止・削減となったり公務員が失業したりするだろう。こんな状況はできれば避けたい。

 

それでは、日本でも上記のようなことが起こり得るのだろうか?

実際のところ、全く起こりえないとは言えないが、この数十年以内に起こる確率はかなり低いんじゃないかと思う。なぜなら、今のような日本国債への信頼がある限り、国債を発行すれば毎年の借金を返済するための資金は作ることができるからだ。

確かに、歳入のうち借金での調達が35%というのは大きい数字ではあるが、その数字の大きさがすなわち危険度を表すというわけではない。毎年の借金での調達額と返済額は毎年そう大きく変動するものでもないし、税などの収入も毎年安定している。だから戦争などの有事がない限り、基本的に日本が返済に困るような状況は起きないだろうと思っている。

 

しかしながら長い目で見ると盤石であるとも言いづらいような気もする。少子高齢化にともない社会保障費の支出が増えるし、経済規模の縮小に伴って景気も後退して税収が落ちる可能性も高い。日本の収支は悪化する。そんな中で借金がどんどん増加していく状況を客観的に見れば、「日本国債は危ないんじゃないか」と疑いだす人も多くなるだろう。こうなると日本の財政破綻の日は近い。

これを防ぐために国もいろいろ考えているんだろうけど、好況時→支出を減らしてプライマリーバランス黒字、不況時→支出を増やしてプライマリーバランス赤字※、といった形にしてトータルでプラマイ0という形を目指すのがいいんじゃないかと思う。

 

※不況時に支出を増やすのは、不況を脱するため。

日本の国防体制について

今日は日本の国防について考えてたけど、さすがにアメリカだけに依存し続けるのはまずいでしょ、と思った。平和主義は平和主義として尊い姿勢で、捨てる必要はないけど、アメリカの属国のような感じで守られているという状況は、感情論ではなく普通にリスクが高いんじゃないかな。まあ現実はそんなに簡単には行かないんだろうけど。

約束はできるだけしたくない

前にフランス家庭料理の居酒屋に行ったとき、そこで飲んでいたおっさんがその店の女将と、翌日映画を見に行く話をしていた。しかしおっさんは「これは約束ではない」と言う。なぜかというと、「当日になって気が向かなくなるかもしれないから、できるだけ約束はしないようにしている」というおっさんのこだわりがあるのだ。約束を守ることはすばらしいが、約束をしないこともまた素晴らしい。

俺も約束は結んだ瞬間に拘束力が発生するので好きじゃない。好きで約束するのに、約束するや否やそれが嫌になってしまうことさえある。何かが確定するということはそれだけ自由がなくなるということで、そのことがなんとなく熱意を冷めさせるんじゃないかと思う。男女関係についてもそうだし、物欲についても同じことが言えると思う。買い物をしていて楽しいのは、どれを買うか選んでいる時だ。選んでいるときが一番自由だから。

 

新年の抱負は絶対に忘れる

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。ということで年が明けた。1年という区切りはえらいさんが勝手に決めたものだが、それでもまあ、何というか、少し自分が生まれ変わったという感じがするというか、気が引き締まる思いがないと言えば嘘になる。ところで、人間の細胞は2週間で全部入れ替わると聞いたことがある。今の俺は2週間前の俺と全く違う分子でできているのである。そう思えば過去(今までの行いとか)にとらわれて身動きが取れない、みたいな状態は阿保らしい。我々は日々生まれ変わっている。今を楽しもうではないか、的な結論になる。また2週間で細胞が全部変わるということが本当だとすると、人間、忘れるということは極めて自然なことのように思える。むしろ、何年も前のことを覚えているということに吃驚する(「吃驚」を「びっくり」と読むことを知ったのは最近だが、この漢字に対してこの読み方になるのは未だに納得できない)。ということで、新年の抱負を今定めても絶対に忘れてしまうだろう。事実、これまでも覚えられたためしがない。それでも、無謀にも今年の抱負を決めるとすると、今年は深く掘る、というのを大事にしていきたいと思う。俺は興味の幅がかなり広い一方でかなり飽き性のため、本当の意味では何も身につかないということになりがちだ。何かに深く取り組むこと、長く続けることは新しい景色を見せてくれるのではないかと思い、これを抱負とする。あとテレビが部屋にないので買いたい。

思わぬ人と再会することについて

この間地元のヨドバシカメラにいって新しく携帯電話を買ったら、担当してくれた人が昔塾のバイトで教えていた生徒だった。これには驚いた。彼と(というか、塾の生徒と)人生で再会することになるとは全く考えたこともなかったから驚いたというのもあるし、相手が自分のことを、そして自分が相手のことを覚えているということ自体も驚きだった。人生を長くやっているとたまにはこういう、珍しいこともおきるものだ。しかし彼とはその後、連絡先を交換するでもなく、ただの店員と客という関係性をキープしたまま別れた。彼とは将来また、再会するかもしれないししないかもしれない(多分しないだろう。そしてそれでも何ら問題はない
)。けど長く生きれば生きるほど、彼のように昔袖をすりあった程度の知り合いとの再会というイベントが起きやすいということを考えると、生きていくことの楽しみが、ささやかだが一つ加わった。別に好きな人とでなくても、再会というのはどういうわけか良いものだと思う。
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