通勤電車の中で書くブログ

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作品を鑑賞するとき、周辺知識はどこまで必要か?

あまり美術館に行くことはないが、たまに美術館に行くと絵や彫刻の近くに、題名や作者名、使用した画材、製作年などの情報に加え、短い解説が書かれていたりする。こういった解説を読むと、時代背景とかモチーフの意味とかが分かって、何となくその作品を理解した気分になれる。しかしその一方で、説明をつけることで、本来鑑賞者が自主的に、自由にしていくべき作品解釈に対して、制限をかけてしまっているのではないかとも思ったりする。できるだけ他人(製作者を含む)や世間の解釈から独立して作品そのものを味わうのが芸術鑑賞のあるべきやり方だと思っているので、くどい説明はちょっとありがた迷惑だ。

でも確かに、昔の作品なんかは歴史的背景を知らないと的外れな鑑賞の仕方になってしまうのでその辺の説明は必要だろう。現代の作品であっても、今の社会情勢や技法の進歩などの知識は必要になってくる場合もある。かといって説明しすぎるのも、前述のように自由な解釈を妨げる越権行為になってしまう。そして口説い説明を要する芸術作品自体、多分芸術作品として良くないんじゃないか。

表題の質問、明確な答えは多分なくて、まあある程度の知識はいるでしょうね、としか言えず、芸術について考えるのは難しいことを痛感する。個人的には、前知識のない状態で作品を見ていろいろ感じてから知識を得て再びその作品を見て、感じ方の変化を楽しむのが一番楽しい鑑賞法だと思う。