映画 風立ちぬ 感想

ゼロ戦を作った人の映画と聞いていたので、悲しい、悲惨な話なんだろうと思って観ていた。が、実際は戦争の悲惨さを描いた話、というよりは、主人公の堀越次郎の生き様を見せることに主眼を置いた映画だったように思う。「美しい飛行機を作りたい」という夢を(異常なまでに)ひたむきに追いかける主人公は、戦争に対しての関心は皆無のようだったし、戦争を直接的に描いたシーンも皆無だった気がする。そこがものすごく新鮮で衝撃的だった。戦時を描いた映画でありながら戦争が前面に出ていない。これは完全にわざとやっているとしか考えられないし、普通の人にはできない試みだと思う。

前面に出てこないとは言え戦争は主人公の人生を翻弄する。物語終盤、頑張って作り上げた美しい飛行機を全部破壊してしまうのだ。ここは序盤に主人公が見ていた、爆弾に撃ち落とされる夢と構図が重なる。夢はさめたが主人公の人生は続く。途方に暮れた様子の堀越氏。自分のテーマである美しい飛行機作りも終わってしまった。さてどうするか。生きねば。みたいな感じ。いろいろあったが結局ゼロに戻ってしまい、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか分からない結末だ。でもそういう結末がなぜか自分は好きだから良かった。

(映画の内容をすごく簡単に説明しているので軽い感じになっているが、実際は人、物、景色が丁寧に描かれていて、そのリアリティがあるからこそ、「生きねば」という単純なメッセージが重みをもって響いてくる、というのは付け加えておきたい)

国際社会はこれからどうなっていくか?

最近国際社会で大きな動きが起きているので、これからどうなって行くのか、雑に考えてみたい。

 

まずこれまでの振り返りから。

19世紀は世界の工場として、また最強の海軍保有国としてのイギリスが国際社会で最も重要な存在だったかと思う。それが第一次、第二次世界大戦を経て、イギリスの覇権はアメリカとロシアに移った。この両国は核戦争の一歩手前まで行きかけたが、最終的に踏みとどまり、なんとか平和は保たれた。核という異常に強力な武器の発明により戦争のコストが跳ね上がったことで、皮肉にも一定の平和がもたらされたのだ。

もちろん、戦争は常に起きているので平和という表現は間違っているのだが、大国どうしが入り乱れて戦うような事はなくなり、代わりに小さい国同士の戦いに大国が一枚噛む、みたいな中小規模の戦争がメインになった、という変化の仕方をしているように思う。

そして現在。

国際社会はアメリカ・ロシアの二大強国体制から、アメリカ・ロシア・中国の三大強国体制になろうとしている。これにより何がおきるかというと、「世界の警察」としてのアメリカの影響力が相対的に弱まり、中国ロシアの好き勝手をある程度容認せざるをえなくなるのではないかと思う。特に最近は中国が明らかに自分の領土を広げる活動に取り組んでいるが、アメリカには今ほど強くなった中国を止めることは難しいだろう。冷戦終結と共に中止となった陣取りゲームが、新たな挑戦者の登場により再開されようとしている。

そんなカオスな状況だから、正直この先どうなっていくか、みたいな予想は立てづらい。せいぜい、アメリカによって保たれてきた国際秩序が揺らぐということぐらいか。ただ戦争のコストが高すぎる現状、武力以外の手段、例えば情報や経済、で他国を攻撃するのが主流にはなっていくとは思う。日本は米中にとって重要な国でありつつ、両国の対立を煽っていければ、それなりにいいポジションを取れるんじゃないかな。

作品を鑑賞するとき、周辺知識はどこまで必要か?

あまり美術館に行くことはないが、たまに美術館に行くと絵や彫刻の近くに、題名や作者名、使用した画材、製作年などの情報に加え、短い解説が書かれていたりする。こういった解説を読むと、時代背景とかモチーフの意味とかが分かって、何となくその作品を理解した気分になれる。しかしその一方で、説明をつけることで、本来鑑賞者が自主的に、自由にしていくべき作品解釈に対して、制限をかけてしまっているのではないかとも思ったりする。できるだけ他人(製作者を含む)や世間の解釈から独立して作品そのものを味わうのが芸術鑑賞のあるべきやり方だと思っているので、くどい説明はちょっとありがた迷惑だ。

でも確かに、昔の作品なんかは歴史的背景を知らないと的外れな鑑賞の仕方になってしまうのでその辺の説明は必要だろう。現代の作品であっても、今の社会情勢や技法の進歩などの知識は必要になってくる場合もある。かといって説明しすぎるのも、前述のように自由な解釈を妨げる越権行為になってしまう。そして口説い説明を要する芸術作品自体、多分芸術作品として良くないんじゃないか。

表題の質問、明確な答えは多分なくて、まあある程度の知識はいるでしょうね、としか言えず、芸術について考えるのは難しいことを痛感する。個人的には、前知識のない状態で作品を見ていろいろ感じてから知識を得て再びその作品を見て、感じ方の変化を楽しむのが一番楽しい鑑賞法だと思う。

女性専用車両と男女不平等論について

最近こんなニュースがあった。

news.yahoo.co.jp

 

女性専用車両に反対する男性が敢えて女性専用車両に乗り、促されても移動しなかったことで、電車の出発を遅らせたというニュースだ。変な事をする人もいるもんだと思うが、この男性の気持ちも分からなくはない。俺も昔から電車通学、電車通勤をしてきているが、ホームに止まった電車に乗ろうとしたらその車両が女性専用車両だったので泣く泣く別車両に移る、といった悲劇を繰り返してきた。さらに女性専用車両は大体電車の真ん中あたり(つまり乗り込みやすい場所)に配置されており、俺は女性専用車両に行く手を阻まれる度、「せめて端っこの車両を女性専用車両にしてよ」と思ったものだ。

この女性専用車両、女性の痴漢被害を減らすために設置されたものだが、特に法的拘束力があるわけではない。そりゃそうだろう。公共の乗り物で、○○の属性の人は乗ってはいけません、みたいに決めるのは明らかに差別で、昔の欧米のトイレが黒人用と白人用とで分かれていたのと同じようなことになる。だがあまりに女性の痴漢被害が多いと、電車側も「何とかしないと」と思い、(差別の自覚があった上でかは分からないが)女性専用車両を設定するに至ったのだろう。これは倫理的にとても難しい問題だ。そして男女の不平等について考えさせられる問題でもある。

男女不平等。法の下で男女は平等ということになっているが、現実の男女は肉体的・精神的性質が違うことにより女性の方が割を食う場合が多いように思う(もちろん逆の場合もあるが)。とくに、女性は腕力において男性に圧倒的に劣り、さらに性暴力の対象にもなりやすい。この点で、女性は男性に比べ、自衛のために物理的・精神的備えを入念にしたうえで出歩く必要があるのだ(男性である自分の想像でしかないが、多分合ってる)。これを不平等と言わず何というか。夜、男性では歩ける道を女性では歩けない。通勤電車では女性は痴漢被害の危険と隣り合わせだ。

こう考えると、女性として生きるのは結構ハードなんじゃないかと思えてくる。男女の特製が違う限り、この格差の問題が将来解決されることはないと思うけど、なるべくましな状況にしていくよう制度設計等、人権にも配慮しつつ上手いこと考えていくしかないのだろう。女性専用車両の今の運用は上手いとは思えないので改良の道を歩んで行ってほしい。社会の進歩って技術だけゃなくこういう多種多様な人に配慮する方法が成熟することも含んでるはずなので。

少子高齢化・人口減少で日本を終わらせないために

日本が近い将来に直面する一番大きい問題は少子高齢化と人口減少だと思う。2025年問題という言葉があるが、2025年には65歳以上の人口が全体の3分の1になり、2050年には日本の人口が1億人を割る予測がある。今の人口が1億2500万人ぐらいだから、20%減だ。

(参考)

第1章 第1節 1 (2)将来推計人口でみる50年後の日本|平成24年版高齢社会白書(全体版) - 内閣府

 

高齢化が進むと働く人が減ることで税収(所得税)が減るし、高齢者の医療費や年金を相対的に少ない若者の負担で賄っていかなくてはならなくなる。また人口減少にもつがなる。人口が減ると、当然税収も減るし、日本経済は人手不足と市場縮小で弱体化してしまうだろう。経済がマイナス成長となれば、日本企業への信用が失われ、金融危機に陥るかもしれない。

本当にこんな悲惨な事態になるのかどうかは分からないが、まあ普通に考えたら起こってもおかしくないような話ではある。

ではこの問題にどう対峙していくべきかということだが、

 ①人口減を食い止める(正面突破)

 ②移民や生産性向上により人口減の悪影響を弱める(防御)

 ③経済規模縮小・財政縮小でもなんとかなるように準備する(開き直り)

 ④特に何もしない(諦め)

対応としてはいろいろ考えられるものの、大きく分類するとこの4つぐらいになるだろう。④は論外として(人生、時には諦めが肝心な時もあるが)、①がうまくいけばベストだろう。うまくいかない場合は②③でしのいでいくしかない。

①人口減を止める為には

・子供を産み・育てやすい環境整備・・・お金・保育所・雇用環境

・結婚の促進・・・マッチング・お金

・その他・・・一夫多妻・不倫の容認・人工授精・クローン人間・高齢者の選挙権を弱める

②人口減の悪影響を弱めるには

・移民受け入れ 

・生産性の向上・・・機械・働き方改革・教育

高齢者を活用・・・再雇用制度・健康寿命を延ばす

③経済規模縮小・財政縮小への備えとは

・都市のコンパクト化

・小さな政府

安楽死の容認

・行政手続き等でITを活用→公務員の削減

・強国の庇護下にはいる(現状日本は地政学的に重要な立地というメリットを米国に提供することで米国の庇護下にいると言える)

・もしくは経済以外の点、例えば軍事力や重要産業をもって強い立場を得る (スイスやシンガポールのような)

法人税減税により外国資本を呼び込む

 

・・・・といった感じで、いろいろな対策が考えられるが、どうするのがベストなのかは分からない。まだどの国も直面したことのない状況だからだ。

国の運営というのは大変ですね。 

ロジカルシンキングとは何か

本屋に行ってビジネス書の棚を見ると、「ロジカルシンキング」について書かれた本が大量に並んでいる。俺もそれらのうち一部を読んだことがあるが、今一つ、そこに書かれていたロジカルシンキングという技術を自分の実生活や仕事に適用することができていないように思う。MECE(ミーシー)やロジックツリーといったロジカルシンキング的なワードについてはよくわかるようになったが、それがすなわちロジカルシンキングだとも言えないと思う(MECEとかはロジカルシンキングというスキルの末端部分にすぎないんじゃないか)。ではロジカルシンキングとはどのような技術で、どのように現実世界に適用していけばいいのか?という疑問があり、今日はそれに自分で答えてみたい。

 

●ロジカルとはどういうことか

人間は放っておくと結構あほな考えに行きついたりあほな行動をとったりしてしまうものだ。例えばテスト勉強をしないといけないのになぜか部屋の掃除をしてしまったり、ただの相関関係を因果関係だと読み取ってしまったりする。そういったゆがみを極力排していこうとする姿勢がロジカルな姿勢だといえるのではないかと思う。

例えばテストでいい点を取りたいとする。この状況であまりロジカルでない考え方は「よし、今回はいつもより頑張って勉強しよう」という感じだ。一方、ロジカルな考え方では、「前回のテストでは50点だったが今回は70点を目指すことにしよう。ではどのようにして20点上げたらいいか。前回を振り返ると、難問にこだわりすぎて時間切れになり、10点ほど損している。あとは計算ミスで10点の損、単純に解けなかったのが30点。時間切れの-10点については、難問に当たって5分考えて分からなかったら飛ばすという作戦にすれば解消が見込める。これで+10点。また計算ミスの損も大きいので、今日から普段の勉強に加えて毎日20分を取って計算の練習をすることにしよう。これで+5点程度にはなるだろう。残りの5点だが、クラスの秀才に出そうな問題を聞いてそれを優先的に勉強することで稼ごう。5点と言わず、10点程度は見込めるかもしれない。以上を合わせて+25点となり、目標達成には十分だ。この方針でいこう」。となる(ちょっと長く書きすぎた)。ロジカルでない考え方とロジカルな考え方の違いは何だろう。それは、「厳密さ」と「切り分け」だ。テストでいい点をとるというふわっとした目標を+20点という明確な目標に置き換える。そしてその目標と今の状況をいくつかのピースに分割し、それぞれのピースについて対策を立てている。

つまり俺はロジカルシンキングの神髄は「厳密さ」と「切り分け」だと考えている。なにか目標や問題があれば、それを厳密に定義し、要素に分割した上で、対応を考える。必要とあれば、分割したものを再度厳密に定義し、再度分割する。ロジカルシンキングを雑に説明するとこういう感じじゃないだろうか。これが有効なのは、厳密な定義と分割を繰り返すことで、人間の非合理的になってしまう原因をあるていど排除することができるからだろう。

厳密な定義と分割は人によって上手い下手があるが、それは練習あるのみだ。。

日本の財政はやばいのか

日本の借金は1000兆を超えていると言われる。これは日本のGDPが500兆程度、日本の歳入・歳出が100兆程度であることを考えるとすごい額だ。国民を1億人と考えると一人当たり100万円の借金ということになる。

これは一見、危機的状況のように思えるし、危機的状況と言う人もいる。しかし一方で、何ら問題ないという人もいる。一体どちらが正しいのか?(もしくはどちらも正しくないのか?) 考えてみたい。

 

借金が問題になるのはどういう時かというと、それは返せなかった時だ。借金を返せないと財政破綻となる。そして財政破綻すると日本円の価値が暴落しハイパーインフレになったり経済が混乱するだろうし、国も支出を減らさないといけないから公共サービスが一部中止・削減となったり公務員が失業したりするだろう。こんな状況はできれば避けたい。

 

それでは、日本でも上記のようなことが起こり得るのだろうか?

実際のところ、全く起こりえないとは言えないが、この数十年以内に起こる確率はかなり低いんじゃないかと思う。なぜなら、今のような日本国債への信頼がある限り、国債を発行すれば毎年の借金を返済するための資金は作ることができるからだ。

確かに、歳入のうち借金での調達が35%というのは大きい数字ではあるが、その数字の大きさがすなわち危険度を表すというわけではない。毎年の借金での調達額と返済額は毎年そう大きく変動するものでもないし、税などの収入も毎年安定している。だから戦争などの有事がない限り、基本的に日本が返済に困るような状況は起きないだろうと思っている。

 

しかしながら長い目で見ると盤石であるとも言いづらいような気もする。少子高齢化にともない社会保障費の支出が増えるし、経済規模の縮小に伴って景気も後退して税収が落ちる可能性も高い。日本の収支は悪化する。そんな中で借金がどんどん増加していく状況を客観的に見れば、「日本国債は危ないんじゃないか」と疑いだす人も多くなるだろう。こうなると日本の財政破綻の日は近い。

これを防ぐために国もいろいろ考えているんだろうけど、好況時→支出を減らしてプライマリーバランス黒字、不況時→支出を増やしてプライマリーバランス赤字※、といった形にしてトータルでプラマイ0という形を目指すのがいいんじゃないかと思う。

 

※不況時に支出を増やすのは、不況を脱するため。