記憶するってすごくね

記憶ってすごいよね、人が何らかの現象を知覚したり考えたりするのはすなわち脳内の神経回路で何らかの信号が流れる、ということだけど、それを記憶するというのは一度流れた信号の経路を、時間を置いたあとでも自分で再現できるということだから。

一度流れた信号の経路を、どうやって再現するのかっていうのは結構不思議に思う。

記憶といえば、USBメモリみたいな装置があるが、そういうのだと多分電気信号をデジタル化して1ビットごとにメモリ内の入れ物にはめ込んでいくようなイメージと思うけど、脳にはそんな収納場所はなさそうだ。

話は変わるが、学習という行為も記憶と関わりが深い。「チョコレートはうまい」ということを学習するとして、まず「チョコレートを食べる」という信号がながれ、次に「うまい」という信号が流れる。ここで、「チョコレートを食べる」信号と「うまい」信号との間に道(回路)ができるのではないかと思う。そしてこれが学習であり、記憶なのではないかと。

つまり、記憶というのは回路なんじゃないかな。何かと何かが同時、ないし続けて起こったりすることにより、それぞれに関連する脳の部分の間で新しく回路が作られる、そしてそれが繰り返されることで回路がより太くなっていく。「3×5」と「15」の間に何のつながりを見いだせなかった子供が、小学2年生になり九九を学び、「3×5」→「さんご」→「15」の回路を作る。そしてこのルートを繰り返していくにつれ、「3×5」→「15」という風にショートカットされたルートが形成される。

また、日比谷公園の桜がきれいだったという記憶は、「日比谷公園「桜」「きれい」といった脳内の要素が色々な経路で結びついたものではないか。

そんな風に思った。多分いつか読んだ本か何かの内容を思い出してるだけだと思うので0からひらめいたわけではないけど。

旬の物を食え

季節で旬の食べ物だったりその土地の特産品を食べるというような、

それぞれの時期・時間帯、それぞれの場所で、良いとされる事をするというのは(当然なんだけど)すばらしいよな、と思う。幸せイコールこれ、と言ってもいいかもしれない。

 

夏にそうめん(ミョウガが沢山載っている)、秋に梨、冬に鍋(食べた後雑炊にする)、春にたけのこ。

沖縄で海ぶどう、福岡でもつ鍋、イタリアでピザ、伊勢で伊勢エビ、佐世保佐世保バーガー

 

すばらしいね。消費するだけの人生はむなしいというが、いい消費はやっぱりいいよ。

コンビニエロ本問題

 コンビニでエロ本が売られていることに対してフェミニスト?か何かの団体が文句を言い、最終的にコンビニがエロ本を売るのを止めた、という感じの話がちょっと前にあったと思う。構図としては、「表現の自由VS公共の福祉」ということになるかと思うが、公共の福祉というのもどこまで拡張していいのか、人によって意見が全然違うから、まあ難しいよね。

インターネットにグロ画像を掲載するだけなら表現の自由が勝つけど、児童ポルノだと公共の福祉の圧勝だろう。これらは別に自明なものではなく、人間が長い間論争して落ち着いたところの基準なわけで、結局表現の自由がどこまで自由なのか、ということは我々が決めていくということだ。

しかしながら思うのは、公共の福祉を強くしすぎると、窮屈になるだけでなく、公共の福祉が体制側に都合よく使われる可能性が高いということだ。中国みたいに、政府に都合の悪い表現が排除されやすくなる。正直エロ本をコンビニで売るかどうかはどっちでもいいが、公共の福祉が勝ちまくる状況というのにはそういう怖さがある。あんまり関心がないことでも、みんなができるだけ表現の自由側寄りでやっていくのが理想的な気がする。

コンビニは子供の取りにくいところにエロ本を陳列したらいいんじゃないの。

韓国、すごいよね

日韓関係がものすごく悪くなっているが、正直韓国政府の行動は常軌を逸してると思う。

慰安婦問題から始まったケンカが、経済戦争に発展し、ついにはGSOMIAの破棄という、軍事の問題にまで行き着いたが、これは韓国政府の撒いた種だ。

それぞれの行動が日韓にどれだけ大きな悪影響があるかは詳しくは知らないが、さすがに問題を大きくしすぎではないか? 

例えば国民の政府への不満をそらすために大統領が「よし、GSOMIAを破棄しよう!」と決めても、側近や官僚などの周りの冷静にものを考えられる人たちが「いやいや、それはさすがにまずいわ」と止めることができるのが正常な国なのではないか。そうなっていない今の韓国という国の国民のことを思うとちょっと不憫。 

外国からちょっかいかけられ過ぎ問題

北朝鮮日本海に向けてミサイルを打ちまくったり、韓国が三菱重工業の資産を差し押さえたり、ロシアの政治家が北方領土を訪問したり、中国が尖閣諸島に軍艦を近づけたりと、日本は結構外国からちょっかいをかけられてるような気がしている。

そして、このちょっかいに対して日本は何か反撃ができているかと言うと、韓国を除いてあまりできていないようだ。(反撃をすべきかどうかはおいといて)

やられっぱなしは癪だが、かといって武力で反撃するのは危険すぎるし、国際裁判?みたいなやつにかけても効果はあまり無さそうだ。となるとやっぱり経済制裁しかない感じがする。しかしこの時代、外国との交易は日本の産業には必須なので、あまり取りたくない手段ではないだろうか。日本には石油などの資源もないし。

キツいよね。

安楽死は認めてはどうか

日本をはじめとした先進国では、人間の寿命が延びてきている。

長生き自体はいいことかもしれないが、年をとってつらい病気にかかり、延命治療を受けながら何年も生き続けるというのは嫌だ。と思う人は多いのではないだろうか。苦しいし。

国としても、お金を稼いで税金を納めてくれるどころか、年金や医療費を負担しないといけない高齢者が増えすぎると大変だ。

この両者の不満を解消するため、安楽死制度の導入、というのは一つのアイデアではないだろうか。

放っていては苦しんで死ぬし、治療すれは苦しんでいきることになる、そんな状況の人には、「苦しまずに死ぬ権利」は与えられてもいいような気がする。

確かに、それが認められると制度の濫用、悪用が考えられるが、防ぐ手だてを考えればいいんじゃないか。

例えば、軽い気持ちで安楽死する人が絶えなくなる、という状況はあり得る。これには、安楽死制度は特定の認可された病院でしか使えない、とか、安楽死できる要件を定める(病気の種類や家族の同意など)とか。

死に関わることだからなかなか踏み切れないだろうけどね。

 

参考↓

www.google.com

憲法改正はすべきなのか

自民党がやろうとしてる憲法改正、具体的には憲法9条の、日本は軍隊を持たないっていうところと集団的自衛権のところだと思うけど、実際どうなんだろうね。

現状、憲法上では日本は軍事力をもっていないことになってるけど、実際には軍とは呼ばれないものの自衛隊という明らかな軍事力を持っている。この矛盾を放っておいていいのか??憲法という重要な決まりに実質的に国が違反しているというのは、国の信用を傷つけるのではないか??っていうのは思う。

ただ一方で、世界で唯一の、核攻撃を受けた国として、軍隊を持たない宣言をして平和主義を憲法で高々と掲げるということには確かに若干の意義はあるような気はする。国民が自国に誇りを持てるとか、、、

トータルで考えたら、自分としては軍隊不保持という条文は変えた方がいいし、集団的自衛権についても実態と合わせた形にすべきだと思う。憲法解釈でなんとかできるのは便利でいいかもしれないけど、憲法制定時の意図と明らかに異なるのに、強引な解釈によって曲げてしまうのは、モラルに欠けるだけじゃなく、国が何でも都合のよい解釈で運営される温床になる。